起きている時間のほぼ全て、スマホを握りしめるようになって情報過多になり、ネット、SNSが登場する前に比べて、膨大な情報に接しているのが今の私たちの生活です。

そんな中で、次から次に情報に触れることで頭の中の整理ができず、私たちの脳内がゴミ屋敷のようになっていると言われます。先に入ってきた情報を自分の中で落とし込みができないまま、次の情報がやってきて詰め込み状態。一つ一つの情報が有益か無益かもわからず、頭の中が満杯になっている。

確かに自分を振り返ってみても、興味があるから次々と情報に目が止まりつつ、かと言って5分前に触れた情報が思い出せない時もあります。YouTubeの履歴を遡ると「短時間でこんなに観てたのか!」と驚きと呆れることも。

ただ、ネットから爆発的に情報量が増えたのは間違いないですが、それ以前はちゃんと整理できていたのか? 新聞や雑誌、テレビ、ラジオはネットとの情報量と速さは比較にならないものの、情報の精査ができていたとは言い切れない。

例えば、新聞は大きなニュースが気になってその記事を読み、なんとなく隣の記事に目をやる。興味が無かった記事でも「へ〜」と読んで、それを自分の中で落とし込む作業をやっていたのか? いいえ、もともと興味無かったのだから「つられて」読んでいただけ。

新聞は興味のある記事で引き寄せて、その近くにある記事を読ませたり、コラムなどの連載を読ませて習慣化させるビジネスモデル。

それがネットでは検索機能を使い、興味のあるコンテンツにピンポイントで辿り着けるようになった。新聞や雑誌は、興味ない記事を読むために、不必要な時間使ってた!と私たちは気が付いた。ただし、ネットもユーザーとコンテンツがピンポイントの接触だけでは収益が上がらなので、リコメンドを使って関連性のあるコンテンツをおすすめしてくる。

こう見ていくと、新聞もネットも情報を回遊させているのは同じ。スピード感と規模は異なるけれど、新聞の時代から、キチンと整理しながらメディアに接触できていたのは一部の人だけなのでは? ぼんやり情報に接してきたのが大多数ではないか。

それがダメなわけではなく、引っかかるものは自然に頭に残るもの。人はマルチタスクで考えを進められるわけではないので、その時どきで考えているのはひとつ。引っかかった事と、そうでないものを取捨選択しているのは昔も今も同じのはず。

私自身の経験を振り返ってみると、デザイン系のセミナーへ参加すると、若い頃はメモを取りながら聴講していたが、ある時に印象が強いエピソードは、勝手に頭に残っていることに気が付いた。セミナーの内容全てが自分にとって重要なわけでなく、刺さった部分は勝手に残る。その刺さった部分を帰り道で、あーでもないこーでもないと考えを巡らせる。それが落とし込んでいる、情報を整理していることだと感じた。

「脳内がゴミ屋敷」の意図するところは膨大な情報に触れて受け身ばかり、自分で考えなくなってしまうのを危惧しているのかもしれない。まあでも、本当に自分に重要なことであれば自然と考えるのでは? 考えなければならない、向かわなければならない事柄から目を逸らそうとするのは個人の姿勢であって、情報の膨大さではない。情報が無ければ、その人は他の何かで紛らわしているだろうから。

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投稿者 yamaji

大阪在住のデザイナー、大阪芸術大学非常勤講師。Web、グラフィック、動画、文章書き、ネットショップ運営。Photoshop、Illustrator書籍、雑誌記事執筆、Web&デザインセミナー開催多数。

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