令和8年7月30日 午後5時45分 享年88歳 父、永眠

父は数年前から認知症が進み、2023年からグループホームに、その2年後の2025年からは特別養護老人ホームでお世話になっていた。

私には二人の姉がいて、実家のある香川県内で暮らしている。父の入所手続きや通院などは、姉たちに任せきりだった。

7月の終わり、上の姉から連絡が入った。数日前から父の尿量が減り、体内の水分をうまく排出できなくなっているという。顔や体にはむくみが出ているとのこと。

病院を受診し、利尿剤を処方してもらい様子を見ることになったが、2日ほど経っても効果は見られず、むくみは取れなかった。再度詳しく診察してもらったところ、体内の水分は肺の半分まで達していることがわかった。

この時点で、医師からは「これ以上できる治療はない」と告げられた。

私は姉たちからのLINEでその状況を知った。慌てて電話をかけると、姉たちは涙声で状況の説明をしてくれた。

せめて、息苦しさを和らげるためと酸素マスクをつけてもらった。点滴は体内に水分を入れるため、むくみがさらに増して父の苦痛が強くなる恐れがあることから、断る選択をした。

酸素吸入は続けるものの栄養の補給は行わないため、残された体力次第で見守る状態となり、父は看取りの段階に入った。

大阪にいる私は、急ぎ帰省することにした。あとどれほど命がもつかは分からなかったが、ネットで調べると数日から1週間ほど保つケースもあると知り、一度帰省したあとも、また大阪へ戻る猶予があるのではないかとも思っていた。ただ、念のためと喪服の準備をして、帰省中に葬儀会社を調べる予定もしていた。

施設には翌日の午後2時頃に着いた。ベッドに横たわる父は、息苦しさからかやや荒い息遣いだったが、自力で呼吸をしていた。喉には少し痰が絡む、ゴロゴロとした音が混じっていた。

目を閉じていて意識はほとんどなかったが、胸は呼吸に合わせて上下していた。顔や肩には温もりがあったが手は少し冷たく、こちらが握ると握り返すほどの力はないものの指がかすかに動く。

父と会うのは久しぶりだった。大阪と離れて暮らしていたこともあるが、認知症が進み、私のことが分からなくなっていることもあり、自分の知っている父ではないような気もしていて、足が遠のいていた。

「帰ってきたで」と手を握り、耳元で声をかけた。直接の反応はなかったが、人は亡くなる直前まで聴覚が保たれると聞いていたので、何度か繰り返した。

この時ほど間近で、父の顔をじっくり見たことはなかった。施設に入ってずいぶん痩せ、年相応に顔のシミも増えていた。白髪がほとんどではあるものの、わずかに黒髪の残る短く刈られた頭を静かに眺めていた。

面会室には下の姉家族が集まり、甥や姪、その子供たちも集まって10人ほどで賑やかだった。父はもともと寡黙で、正月や盆に親類が集まっても話題の中心になることは少なかった。ただ、輪に入らないわけではなく、皆が楽しそうに話す姿を傍らで聞いている人だった。このときの面会室でも、私たちの会話をベッドで静かに聞いているように思えた。

私は、まだ数日はこの状態が続くだろうと考え、この日は一旦実家に泊まり、翌日また施設へ来ようと思っていた。

面会終了の午後5時半近くになり、私は「また来るな」と父の肩に手を置いて声をかけた。

実家へは下の姉が車で送ってくれることになり、帰省中の食料を買うためスーパーへ立ち寄った。店内に入り、カートを押して歩き出したとき、緊急連絡先になっていた上の姉から着信が入った。

「施設から連絡があってお父さんが急変した、すぐ戻って欲しいって」

一瞬、意味が飲み込めなかった。つい20分ほど前まで、息は荒いながらも自力で呼吸し、手にも反応があったからだ。

買い物をやめ、下の姉と急いで施設へ引き返した。さっきまでいた面会室に戻ると、父の呼吸は止まっていた。まだ温もりは残っていたが、胸の動きはなく、触らなくても身体は微動だにせず固まり始めているのが分かった。

まもなく施設から連絡を受けた、上の姉も駆けつけてきた。部屋に入りながら私を見た姉に、私は小さく首を横に振った。

同じ施設で暮らす母も別フロアから呼んでもらい、面会室に家族が揃った。母は記憶が断片的になることはあるが、日常の受け答えはできる。車椅子の母をベッドに近づけると、「息してないんな」と問いかけるように呟き、眉間を押さえて泣き崩れた。

ほんの少し席を外したわずかな時間の出来事だった。面会時間が終わり、大勢が集まって賑やかだった部屋が静かになって、「じゃあ、そろそろ」と逝ってしまったかもしれない。

私は翌日の様子を比べるつもりで、息をしている父の姿を動画に収めていた。時刻を見返すと亡くなる30分ほど前、酸素マスク姿の父を「こんな状態を撮っても…」とためらいながら撮ったものが、生前最後の動画となった。

直接の死因は誤嚥性肺炎だったが、水分をうまく排出できなくなった内臓機能の低下に伴うもので、老衰と診断された。

生前の父は、大きな病気やケガで入院や手術をすることもなく過ごした。順風満帆なことばかりではなかったかもしれないが、晩年は母と旅行や四国八十八ヶ所巡りを楽しみ、孫6人、ひ孫6人にも恵まれた、穏やかで良い人生だったと思う。

父がかつて熱心に取り組んでいたことに、私自身も昨年から興味を持ち始めていた。その頃すでに父の認知症は進んでいたので話せなかっただろうし、今となっては叶わなくなってしまった。私がもう少し早く興味を持っていれば、共通の話ができたのにと、少し心残りでもある。

アバター画像

投稿者 yamaji

大阪在住のデザイナー、大阪芸術大学非常勤講師。Web、グラフィック、動画、文章書き、ネットショップ運営。Photoshop、Illustrator書籍、雑誌記事執筆、Web&デザインセミナー開催多数。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です