数年前からのこと、NetflixやAmazon Prime Videoでサムネ一覧を眺めながら、結局は何も観ることなくアプリを閉じることが増えた。その後はたいていYouTubeでショート動画を観て、時間を溶かしている…。個人的に、長編のストーリーに付き合うことへのハードルが上がって、「重い」と感じているのだ。

これには2つの理由があって、1つは個人の趣味嗜好の細分化によるところ。

ネットが登場前の主なメディアはテレビ。多くの人は同じものを観て、流行った同じものを求めてた。今思えば、地上波のわずか数チャンネルから提供されるコンテンツに、自分の趣味を合わせていた状態。本当は自分の趣味ではないけれど、世の中で流行ってるし、みんなが良しと言うのだから良いのだろうなぁ〜と受け入れていた。

それが、ネットが登場してブログやSNS、配信動画で情報のカテゴリーが広がると、それまで自分の趣味は少数派で受け入れられない、身近な仲間が存在しなかったのが、本当に自分が満たされるニッチな情報に触れることができるようになった。テレビのように一方的に与えられた情報の枠に、自分を無理やり合わせる必要がなくなった。

ネットが広がって既に30年ほど。気がつけば自分の周りは、好きなものに囲まれて生活するようになっている。特に今の10〜20代は物心ついたときからネット環境があり、自分を満たしてくれるものをチョイスできるのが当たり前で、何かの枠に当てはめる必要がない生き方をしている。

そうなると、触れたことがない新しいものへの触手が伸びにくくなってくる。既に自分を満たすものは揃っていて、求めるものはその厚みを増してくれるもの。ポツンと離れたところに存在する、異世界のものは求めていないし、そもそも目に入らないことも多い。

見慣れた映画やドラマは繰り返し観るけれど、全く新しいものへのチャレンジに腰が引けてしまう。いざ観ようかな?と思っても、未知のストーリーに2時間を使うのか…と思ってしまう自分もいる。

2つ目は、その時間の使い方、タイパへの意識。

YouTubeやTikTokのショート動画に慣れていると、長編で登場人物を理解してストーリーを追うことを億劫に感じてしまう。

私は、YouTubeはショートよりも10〜20分のコンテンツを観ることが多い。知識系、雑学系が多くて、そっちで頭の理解力を消費している。それでも30分〜1時間の尺になると、よほど興味を感じなければスルーしている。映画やドラマとはコンテンツの中身が全く違うけれど、「付き合う」意味では同列に捉えている。

映画やドラマも、実際に観れば「面白かった!」と充実した時間を過ごせた経験もある。にも関わらず、サムネ一覧を眺めている時は、無駄な時間を過ごして失敗してしまうかも?との、マイナスの感情が先に来る。人は未だ観ぬ得られるものより、失うことへの恐怖心の方が大きい。

配信のサムネ一覧でさえ躊躇する状態だから、劇場へ行く機会はかなり減った。2時間とチケット代、2つのコストに見合った得られるものがあるのか?と。

これら2つの理由が私だけでなければ、劇場公開を前提とした映画制作のリスクは上がっていると思う。企画から制作に4〜5年かけながら、公開初週の結果か芳しくなければ早々に打ち切られる。昔に比べると「爆死」の言葉を耳にすることも増えたし、それがSNSに広がると、まだ観ていない人たちが足を運びにくくなる悪循環もある。

だからといって、長編ストーリーがオワコンとは思わない。2時間どっぷり非日常の世界へ入り込めるのは、特別な体験でもあるのは間違いない。ただ、今とこれからを考えると、作りてはこれまで以上の工夫が必要で、困難な作業になっていくだろう。

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投稿者 yamaji

大阪在住のデザイナー、大阪芸術大学非常勤講師。Web、グラフィック、動画、文章書き、ネットショップ運営。Photoshop、Illustrator書籍、雑誌記事執筆、Web&デザインセミナー開催多数。

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